下北沢のリアル(ちょっと改稿)

下北沢にしのびよる「現実」

世田谷区長選や区議選を目前に控えたいま、下北沢の再開発問題がどう転ぶかは、この選挙の結果次第というところもあります。いずれにしても選挙が終わったら、運動はおそらくひとつの転回点を迎えることになるでしょう。たぶん、選挙でよほどのミラクルが起こらないかぎり、道路建設は推進され、それをストップするには「訴訟」という手段に賭けるしかなくなってくる。いよいよ再開発が避けられない事態になってくると、道路建設を受け入れたうえで、いかに街をよりよいものにデザインしていくか考えよう、という現実路線派の主張も、より説得力をもってくる。地上げで店もどんどん立ち退いていくだろうし(というかすでにそうなりつつあるし)、一歩間違うと、下北沢をめぐる風景はとても殺伐としたものになりかねない。


けれども一方で、ほんとうにそうだろうか、とも思うのです。私たちはどんどんいろんなことに対してカシコクなってしまっていて、だから先回りして「現実的に」考えてしまって、結果、何も言えなくなってしまう。そのような沈黙を強いる「現実」というものが、下北沢をめぐる(実は下北沢にかぎらない、さまざまな)言説の場に、もうかなりの程度入り込んでいると思うのです。たとえば下北沢に対する見方でいえば、「現実的でない人=往生際の悪い人=運動やってる人」と「現実的な人=あきらめた人=運動から距離をとっている人」という単純な仕分けに、どんどん近づいてきている。少なくとも外部で下北沢とそれについての言説の動向をウォッチしている私のような人間にはそう見えます。


けれどもちょっと前、運動の初期は、そうではなかった。まだ今ほど下北沢をめぐる言説(メディアなどでの語られ方)が定まっていなかった頃、下北沢にはもっとよくわからないものが充満していて、いろんな考えの人がそれこそ千差万別にいて、だから街も面白かったし、人も魅力的だった。それがだんだん、街も運動も、よくわからないものをよくわからないままに抱えておく余裕がなくなってきているような気がします。白か黒か、どっちか、という感じに。たぶん再開発の事業認可が下りて、訴訟に訴えるしかなくなって、なにかのアクションが直接的に政治と斬り結ばなければいけないかのような、そういうプレッシャーが積み重なって、「現実」が重みを増してきたからだと思います。「運動」とか「道路」とか「再開発」とか、そういう言葉が私たちを巧みに「現実的思考」のもとに誘導し、賛成か反対か、コミットするかしないか、どっち!?と白黒を迫ろうとする。実際に運動をしている人たちにそんなつもりはないだろうけど、運動に関する言説はそういう状態になってきている。そうなると、態度決定がめんどくさい人や白黒つけるのに抵抗を感じる人は、運動から距離をとるしかなくなり、運動の外部に押しやられてしまう。それが、下北沢の運動がいまひとつ「一部の盛り上がり」としか見なされない状況につながっているような気がします。




「現実」を前に沈みゆく絶望のグルミー氏




でも実は、そんな括弧付きの「現実」はちっともリアルじゃないと思うのです。リアル、とかいう言葉をあえて使ってしまいますが、ほんとは街に白も黒もない。「再開発」とか「運動」とか「問題」とかよりも前に、街にはもっとよくわからないものがたくさんあるはず。よくわからないもの、あるいは白にも黒にも染まりきらずこぼれ落ちてゆくもの、その部分にこそリアルがあるはずだと私は思うのです。

「現実」を突き破るリアルを語れるか

私が、下北沢の運動に関わる若い人を挑発するようなエントリーを書いたのは、彼や彼女たちが何よりもそのリアルを肌で感じているはずだと思うからです。猛暑の日も雨風の日も、署名活動をしたり、店をまわったり、まさしく足で稼いで人とぶつかって得た情報を、彼や彼女たちはたくさん持っているはず。そのリアルは、私のようにヒヨって距離をとった人間にはとても語れるものではない。彼や彼女にしか語れないものがある。その語りは、少なくとも「現実」の前に白か黒かにはっきり色分けされていくような言説とはぜんぜん別のものだと思います。繰り返すけれども、私はそれこそがリアルだと言いたい。


ただ、今のまま語らない(少なくとも外部に声が届いてない)のでは「下北沢? ああ、再開発でしょ、知ってる知ってる」程度で片付けられてしまうと思うから、そしてそれが悲しいと思うから、あのように書きました。せっかく持っている記憶のストックを、それこそ「下北沢」という島宇宙(というかムラ共同体)の中だけで完結させてしまうのだとしたら、それはそれで本人たちは楽しいだろうけど、やはりただの自己満足だと思います。すごく頑張ってるのはわかるけど、頑張っている、頑張ったね、という共同体の内部での自己満足だと思う。


でももし、彼や彼女たちが感じたリアルについて、外に向けて語り始めるなら、それはぜひ聴いてみたい。下北沢の再開発問題に対して、「ああ、あの問題ね」となんとなくカシコク判断して切り捨ててしまっている私たちの目を洗うような、そういう言葉が聴けるんじゃないか、と……まあ、共同体の外部に向けて語るのはそう簡単ではないし、知恵も技術も必要だから、あんまり過度な期待はしないようにします。でも、とりあえず機会をどんどん利用してやってみたらいいんじゃないだろうか。Save the 下北沢というひとつの運動体の名前が足かせになるようだったら別働隊をつくったっていいわけだし、個人でやってもいいわけだし。それは運動の足並みを乱すことじゃなくて、より活性化させるほうにつながると、私は思います。



アクロバティックな運動で「現実」を跳び越えようとする再チャレンジのグルミー氏

蛇足

それから最後に、私は「若い人」に向けて語ったわけだけど、年齢的な若さは二の次であって、なにより気持ちの若さが大事だと思います。すっごく月並みな言い方だけど。あまり既成の枠組みにとらわれない柔軟な思考の持ち主であれば(私は実際にそういう人を知っていますが、そしてそのお方は文化系トークラジオLifeのヘヴィリスナーという噂もありますが)、年齢に関係なく、がぜん、独立して何かやったら面白いんじゃないですかとオススメしたいです。ユーモアというのは絶対に必要で、だからそういうことができる人は、どんどんやったらいいですよ、ほんとに。



■下北沢の運動についてはこちら
Save the 下北沢
http://www.stsk.net/