東京物語

ひきつづき「東京」について。

日経ビジネス』1月29日発売号、日経新聞論説委員の吉野源太郎による連載「東京物語」は「地域再生か分断か 非文化ドラマの舞台、下北沢」。メインは世田谷区の対応と考えに対する批判となっているが、本多一夫に対するアイロニーとも読める。

本多劇場の本多一夫が今の「演劇の街・下北沢」をつくり、それがしかし巨大な道路ができるという「しかたない」状況によって、下北沢はやがて「老人の舞台」になるだろう、という皮肉。まるですべてが、本多によってはじまり、本多によって見捨てられる、といった書き方である、が、冒頭に「街は誰のものか」と掲げられているように、この記事にはむしろ、「街は本多ひとりのものではなくて、今ここにいる人間たちのものである」というメッセージも込められていると読める。

この記事は、本多や何人かの商業主らのコメントが入ってはいるものの、おおむね、マクロな視点から書かれている。逆に、下北沢再開発に反対の人のコメントや、小さな商店を営む人の声なんかは入ってない。それは実際に下北沢で生活したり頻繁に出入りしている人間からするとリアリティに欠ける描写かもしれない。

しかし、私はこの書き方はアリだと思う。むしろ、そこにそういった個々の人たちの「想い」を乗せたコメントを入れてしまうと、それらの「想い」がマクロな状況に回収されていってしまうことになりかねない、そういう悲劇的な構造こそが、今の下北沢を包んでいるからだ。その「声=想い」が大きな政治的状況に回収されていくという悲劇的な構造は、ついには諦めや絶望にいたる。

私は基本的にペシミストである。なるようにしかならない、と考えている。諦めも絶望も、あらかじめそうなるものとして受け入れれば、少しは生きやすい。それにそのほうがなんとなくかっこいい。そう考えてきた。しかし、最近、とあるほぼ同年代のラジオパーソナリティが「希望」という言葉を繰り返すのを聴いているうちに、少々、そのもがく姿に心を打たれてしまったのかもしれない。なすすべもなく状況に嬲られていくのは、もはや御免である、と考えはじめてもいるのだ。

そういうわけで、最悪、道路ができてしまうという結末になってしまったとしても、それが諦めと絶望を蔓延させるようなことにはなってほしくない。(もちろん、できれば道路だってできてほしくない。いらねえもん。)では、そうではない結末を迎えるために、どのような方途がありうるのか。ここが知恵の絞りどころだ。


すでに裁判が行われている。それは、法的な言語を通じて、それぞれの「声=想い」を状況に対してぶつけていくというコミュニケイション行為でもある。それもひとつの重要なやり方だろう。だがそれはそれとして、ほかの方法を考えたい。(法律は苦手なのだ)

いや、まず、方法というよりもさらに前に、これは行動家から見れば遅々たる歩みにしか見えないかもしれないが、行動は行動として別にするとして、考えたい。考えるということをしてみたい。考えたいのは、街について、あるいは公共性ということについて。別の言い方をすれば、我々はいかにして「東京物語」を紡ぐことが可能か、というテーマでもある。(つづく、予定)


追記

Save the 下北沢代表の金子さんのブログでもこの記事は触れられていた。
http://stsk.exblog.jp/d2007-01-31

そしてゴウダくんから質問もあったので、それについてはたぶんあとで書きます。