3年は辞めるな?

昨夜、ゴウダくんが買ってきた1月26日付の「週刊読書人」。加藤宗哉が自身が編集長を務める「三田文学」2006年秋季号に掲載した片山飛佑馬の小説「アパシー」に触れた文章が目を惹く。片山という若者はこの小説を遺して自殺した。「アパシー」は、大学を卒業して銀行に勤め、3年目に鬱病と診断されてから自殺にいたるまでを記した小説らしい。

この小説は「死ぬこと」ではなくあくまで「生きること」を目指した若者の告白の記だった。作品のなかで、若者は懸命に生きようとする。文学と音楽をつねに身近に置き、自分はできれば小説を書いて暮らしたいと願う。
(中略)
作者を自殺させたのは、たしかに「鬱病」なのだろう。抗しても抗しきれぬ病の怖さである。しかし、と私は思う。彼がつねに身近に置いた文学は、生きさせる力をこの若者にあたえることはなかったのか。かりに文学が世の中の役になど立たぬものだったとしても、たったひとりの人間を生かす力にはなってもいい。いま、文学の責任が、文学を送り出す者たちの責任が問われなくてもいいのか……とそのときも痛烈に思った。

「働くならば3年は辞めるな」とオトナたちは誰もが口を揃えて言う。だがはたしてその旧時代的な物言いが今この現代の日本においてどこまで有効なのか、と、この片山という青年の話に触れて思う。たしかに継続は力である。つづけていくことで身に付くこともある。だが、死んでしまっては元も子もないではないか。