滑り込みたい感じ

あらゆる仕事を投げ出して誰かと話したい、そう思うような、人恋しい昼下がりがある。某作家に電話をしてみたり、メールを出してみたり。でもみんな忙しいので(当たり前だ)あまり構ってもらえない。とにかく、誰かと話したくてしかたがないのだが、考えてみれば、特に話したいことがあるわけでもない。近所の大きな公園を散歩していたら、かわいらしい女の子が花の写真を撮っていたのだが、もちろん話しかけられるはずもなく、彼女が立ち去ったあとでその赤い花を眺めてみたりする。そんなに淋しいか、おぬし。

十一年にわたるミラノ暮らしで、私にとっていちばんよかったのは、この「私など存在しないみたいに」という中に、ずっとほうりこまれていたことかもしれない。なかなか書生気分のぬけない私にとって、それは、無視された、失礼だ、という感想にはつながらなくて、あ、これはおもしろいぞ、いったい彼らはなにを話しているのだろう、と、いつも音無しの構えでみなの話に耳をかたむける側にまわった。当然、それは私が彼らの会話の深みについて行けなかったからでもあるが、私を客扱いにして、日本人用の話をする人たちの中にいなかったことは、私のためにさいわいだった。(須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』)


私の理想はこういう感じなのだ。やっぱり、週に一度のサロンが消滅したのは痛い。ほんとに。


須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)

須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)