都市のカオス

utubosky2007-01-28


そうそう、昨夜は文化系トークラジオ「Life」http://www.tbsradio.jp/life/を自宅でゴウダくんと聴いたのだ。テーマは「働くということ」。ゲストの本田由紀さんとサブパーソナリティの柳瀬博一さんのあいだで一触即発という雰囲気があったが、対立構造をつくりつつも単なる「激論」にせずにその先を見出そうとしたcharlieの努力に感服しきり。ライブ感があってよかった。つづきの「外伝」はポッドキャストを楽しみにする。



ところで次週のテーマは「東京」らしい。いよいよ下北沢の再開発問題もとりあげられるのだろうか。いや、きっと、「下北沢」では局地的な問題として捉えられてしまうだろうから、もう少し広く「東京」というところで考えることになる。下準備として、少し長くなるがブレインストーミングの段階として、つらつらと書きながら考えてみる。

まず思い出すのは、Save the 下北沢金子賢三さんのブログで紹介されていた木村和穂の発言である。(孫引きになるから、正確な発言かどうかはわからない。)http://stsk.exblog.jp/4900168/

「下北沢の運動はね。いままで割合上手くやってきたと思うんですよ。でもね、ひとつ失敗していることは、いつまでも「下北沢」の特殊性を前提とした理論展開をしていることではないかと僕は思うんです。シモキタ問題を一般化すること。つまり街の善し悪しの問題ではなくて、人々のライフスタイルを変えさせるような問題としてとらえていきたいと考えています」

これは木村くんがこれから考えていくべきテーマだろう。それはさておき、一見すると木村くんの発言と逆方向になってしまうのだけど、「東京」ということでいうなら、むしろ、「東京」がちっとも一枚岩ではなくて、さまざまな特殊な地域の寄せ集めである、ということをまずは考えたい。特に私の場合、「東」の下町方面にずっと住んで、やがて「西」の世田谷に移ってきたものだから、そのちがいたるや……それでもやはり同じ「東京」だったりするから面白い。

もちろん、区ごとに経済格差が生じているとか、そういう社会問題もあるらしいけど、むしろ、その土地によって生活スタイルや水準が違うというのは、都市や街を考えるうえではとても面白いことだと思う。

そういう観点からすると現在進められている各地の再開発においては、ほとんどその土地で培われてきた特殊性は無視されている。小田急線なんてどの駅のホームも構内も駅前の構造も似たり寄ったりでいったい自分がどこにいるのかわからなくなる。えんえんとつづく同じような風景の都市、というのは怪奇な未来SFの世界だけで十分であって、現在の現実の東京をそのようなどこも同じ顔にしてしまうのは、趣味が悪いとしかいいようがない。

そして、なぜ再開発が「趣味が悪い」かというと、それはそもそも「まちづくり」なる観念が都市というものが持っているカオス的な魅力に耐えられないからだと思う。都市というのは、危険な場所である。治安が悪い、という意味ではなくて、さまざまな偶発性に満ちている、予見不可能な場所であるという意味で、危険である。それは逆に言えば、ある種の期待を抱けるような場所でもある。そこにいけば、何かが起こるかもしれないという期待。実際、下北沢の最大の魅力はそこで、「そこにいけば何かが起こりうる」という期待感が、街を遊歩する人間たちには大なり小なりあるのではないか。そうした都市への期待は、何も下北沢だけに収まるものではないだろう。

私は以前、そうした仕事に携わっていたこともあるから断言するが、行政の担当課やそこと結びつきの強いNPOにとっては、都市のカオスという魅力は手に負えない代物である。それはむしろ、もっと危険な、研ぎ澄まされた感性をもった人間たちに託したほうが面白くなる。もちろん、街は人々が住むところであり、だからこそ最低限の安全性は追求されるべきである。べきではあるが、「安心・安全」などというほとんど無意味なスローガンにそのまま乗っかるような腐った(というか停滞した)感性の人間には街も都市も託したくはない。そういう人間たちはそろそろ政治の舞台から退場すべきである、とさえ思う。

いや、言いすぎだ。政治とは秩序をつくる営みでもある。その意味では、最低限の秩序を維持していくための政策づくりというのはそれはそれで重要だろう。しかし、街を面白くするのは誰か、ということを真剣に考えてみれば、いま、街から居場所を奪われ追い出されようとしている人たちにこそ、それができるのではないか。



今日、下北沢駅前の座り込みの場にいって、ああいう場で、カブリモノをかぶったり、椅子に座ってみたりして、それがはたして街に対して害をなしているかというと、そうではなくてむしろそこで何かが発生していくのである。人と人との距離が、孤立してそれぞれの人生を生きざるをえなくなっている私たちの距離が、いきなり、それもごくごく自然に、ぐっと近づいたりする。男も女も歌い出す。そういうのは、面白いだろう?