無花果の顔


DVDで桃井かおり監督の『無花果の顔』を観た。のっけから、自然なような、不自然なような、父と母と娘と息子の会話が独特のカメラアングルで交わされて、面白いなあ、と思っていたらそんなものは序の口で驚いた。桃井的リアリズム、とでも呼ぶしかないような世界観。明るいような暗いような、閉じているようで開いているような色彩感覚が終始目を楽しませてくれる。



印象的なシーンがいくつかある。山田花子が好演している娘(ユウ)が、「自宅執筆中」状態だった出版社の仕事を辞めて、東京タワーの見える部屋を借り、そこでパジャマ姿でてきぱきと文章を書いている。どうやら彼女はフリーライターとして独立したらしい。その窓はいつも開いていて、東京タワーの下の路上には、母の姿や、彼女自身の姿、それから新しい父が母をおんぶして歩く姿などが映される。

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冬ごもりがはじまる


家出少女がどうやら仕事を手に入れたらしい。あとは住むところだが、それももしかしたらこの家に住むのかもしれず、まあそれも必然的な流れかなと思いながらお祝いの電話を入れたら、コタツは出しましたか、という。コタツを出したら遊びにいきます、というのである。ちょうど、明日までに返さなくてはいけないDVDもあるし、鍋でもしながらビール飲んで、だらだらと家出少女と映画を観るのもわるくないかなと思ってコタツを押入れからひっぱりだしたら、そこに毛むくじゃらのグルミーがくっついていた。


だいたいあんたってロアク的なのよ、と毛むくじゃらのグルミーはいう。ロアク的、を露悪的に返還するのに戸惑っていると、そんなことわかんないなんてバッカじゃないのと怒られた。果してこの毛むくじゃらのグルミーは女性なのだろうか、と考えていると、またほらすぐにそうやって色分けしようとする、そんなこと気にするあたりがミミッチイんだよね、とまた怒られる。どうやら頭の中で考えていることを読まれてしまうらしい。しかもかなり口が悪いらしい。気をつけなくては。


押入れの中からは、数年前に書いたらしいこんなメモも見つかった。

 言葉は口にした途端に嘘臭くなるから、僕たちは口をつぐみ書くのだと思う。アイシテルというただそれだけを言うために長い長い物語を書き、ときには泣ける話を書いてみたりもするだろう。でもやっぱりそれも嘘かもしれない。だとしたらいい嘘をつきたいと思う。愛のある嘘をつきたいと思う。せめて誰かひとりにでも、たったひとりにでも、この気持ちが届くようなそんな嘘をつきたいと思うのだ。

おことわり


「ある種の書かれたものはフィクションである」ということについて説明する必要が生じたので、ゆうべ眠いあたまで長い文章を書いて、起きてから推敲して掲載しようかと思いましたが、やはりいちいち説明する、というのは美しくないと思うので、そのままお蔵入りにします。というか、前回ブログを一時閉鎖したときの顛末とほとんど同じなので、これでも読んでおいてください。

http://d.hatena.ne.jp/utubosky/20070811/p1


とりあえずルールとして明示すると、「私」のとてもプライヴェートであるかのように書いてあることには嘘が入っています。まったくのデタラメ、ということではないですが、事実をそのまま書いたりはしません。(いくらなんでもそのまま書くわけねーだろ、という前提は共有してもらえるかと思ったのですが甘い見込みでした。)ただ、今後に関しても、読んだ本や観た映画のストーリーを捻じ曲げて書いたりだとか、書かれてもいないことを引用したりだとか、そういうことはしないので、そこはある程度そのまま信頼してくださっても大丈夫だと思います。また、「Life」も「ブレインズ」も現実に存在するものです。でも、「私」がどうこう、と書いてあることについては事実とは異なります。それを言ってしまうのは面白くありませんが、しかたないのではっきりとここに明示しておきます。