眠り姫


「百年」にマフラーを忘れたので吉祥寺まで取りにいった。ついでに、角のサトウでメンチカツを買う。列に並んでいた奥様たちは8個とか10個単位で買っていた。主婦の迫力はすごい。


夜、渋谷ユーロスペース七里圭監督の『眠り姫』を観る。正直なところ、もう少しエンターテインメント性があるというかポップな(大衆的な)味のする映画が好みだけど、西島秀俊はやはりものすごく存在感があった。この人が体現する虚無感には、共感はできないけれど惹き付けられるものがあります。

ホッテントットエプロン


とても寒い。下北沢のシネマアートンで『ホッテントットエプロン スケッチ』。お目当ては七里圭監督と佐々木敦さんの対談。ウワサの新雑誌『エクス・ポ』にインタビューが載るらしいので読みたい。


ちなみにネットで調べてみたら、「ホッテントットエプロン」とはアフリカの部族(コイコイ人=ホッテントット)の中に小陰唇を伸ばす習慣があり、それを指していうらしい。


考えてみれば分からないこと、知らないことはたくさんあって、たとえばかつて男はフンドシだとしても女性は下着をつけていたのだろうか、と思ってこれも調べてみたら何も穿いてなかったらしく、では当然、生理はどうなるの、という問題になりますが、以前テレビだか新聞だかで、かつて女性は生理をある程度コントロールできたのだ、という話を読んだのを思い出して、わずか一世紀に満たないくらいのあいだに、パンツというものが人間の能力を激変させたことに今さらながらに驚くのです。

Lifeとか百年とか


昼は早稲田大学でLifeの公開録音イベント。軽く顔を出すだけのつもりだった打ち上げで完全にスイッチオン。吉祥寺に着いてもテンションが収まらず。トークイベント「百年と権力」の打ち上げも類を見ないくらいに盛り上がり、朝まで気炎を吐きつづけてしまいました。

キノコ鍋


人気編集者のAさんを呼んでキノコ鍋。ほんとは同居人Bと3人で飲む予定だったのだが彼の仕事が終わらなくて結局サシ飲みに。楽しかったけど、Aさんを私なんかが独占していいの?と後ろめたさがあって、そのせいでBにあとで冷たくしてしまって、少し反省。

猫が入居?


我が家は複数人で暮らしていて、この春、メンバーが変わります。そこで、来シーズンの同居人候補のお二人を呼んで水炊き鍋。うどんに卵を入れて食べたらおいしかった。猫を飼おうよ、という前向きな話も。

転々


渋谷で三木聡監督の『転々』を観て、お約束通りに散歩したくなり、松涛、駒場、池の上、下北沢と歩いて家に帰った。途中、「とん水」でとんかつを食べ、一番街の果てにある八百屋で蜜柑を買ったら、それが甘くて、なかなかの美味だった。



『転々』はオトコ二人で東京を歩きまわる映画。吉祥寺の井の頭公園から出発し、最後は皇居の縁を通って霞ヶ関へ。といってもまっすぐ一本道ではなく、行きつ戻りつ、寄り道しまくり。そこに、いま私たちが生きているこの東京が映る。


そう、この映画が描くのは、いまの東京なのだ。「思い出」という言葉が何度か出てはくるけど、『転々』の人々が生きるのは、あくまでも〈現在〉であって、後半、小泉今日子吉高由里子*1が加わることで形づくられる擬似家族にしても、それが所詮はイミテーションでありママゴトの延長であるからこそ、実は誰にでも、今からでも作りあげることのできるものとして描かれる。そこでは、ありうべき「家族」も含め、すでにいろんなものが失われている。でも、たしかに生きるに値する〈現在〉はあるのだ。


偶然か必然か、主人公の青年をオダギリジョーが演じたことで、この映画は黒沢清の『アカルイミライ』のその後の世界のように思えなくもない。脇を固める御馴染みの役者陣も見事。東京に、ちょっといい感じのロードムービーが誕生した。

*1:ふふみ役として登場。いまイチオシの女優。特にこの映画でのはっちゃけぶりはすごい!

エコール


観終わって言葉が湧いてこない、というか、言葉を無効化されるような映画。公開された際には映画評がいくつか出ていたはずで、あらためてそれを読んでみたいと思った。


ひとつ気になるのは、舞台が「森」であるというところ。純真無垢な少女たちがそこで6歳から12歳までを過ごす。森を出る自由も、森に入る自由もない。森の地下には欲望が隠されていて、彼女たちは、その欲望の通路をくぐりぬけることではじめて外の世界に出ることになる。外の世界だってそれなりに美しい。けれどもそこは、あまりにもまぶしすぎるのだった。




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