ロマン主義的批評(仮)宣言4


期末試験前に別のことに逃避するような感覚で、この「ロマン主義的批評(仮)宣言」などというものを書き始めてしまったせいで、仲俣さんのブログからのアクセスが急に増えている。ふだん、推定6人しかいないと思われる読者に向けて書いている当ブログにとってそれは荷が重く、完全アウェイの気分だが、やり始めてしまったものはなんらかの形で終わらさなければならない。そして早いところまた推定6人体制に戻したい。

批評の覚悟について

まわりくどい話はナシにして一言でいえば、この宣言は単に、


「好きに読んで、好きに書こう」


ということを言いたいだけなのだった。もちろん、「きちんと読んで書く」ということが基本にあると思ってはいる。そこはなにやら最近怒っている人たちの言い分もわからないではない(しかしその批判のやり口はいささかエレガントさを欠いていると言わざるをえない)。そして、ある作品についてしっかりした論評(あえて、批評ではなく論評)を書こうと思うのならば、やはり基本的には、その作家の作品は全部読むというぐらいの覚悟が必要であるといえるだろう。名前は出さないが、ある人が、ある作品を評するためにはその相手と斬り合うくらいの覚悟が必要なのだと書いていて、私は非常に感銘を受けた。それはしかし、「読まないのはダメ」という意味ではなくて、「覚悟が必要だ」といった話だったと思う。


何事かについて書くというのはほんとうに大変なことである。昔、ある作家に書評原稿を依頼して断られたことがあるのだが、その理由は「他人の書いたものについて書く、ということは私にはできない」というものだった。私はそこにも同じような覚悟を感じた。そして、そのような覚悟によって支えられているのであれば、文壇もまた美しいと私は思う。前々回のエントリーでアカデミズムの話を書いたのは、なにかというと批判の槍玉に挙げられるアカデミズムという世界が、それをほんとうに徹底して追求しているのであれば、(いくつかのそこからの逸脱の物語も含めて)美しいと思うからである。その根っこには、研究の対象となるものと自分とのあいだに、神々しいまでの距離感を保つ、その美学があると私は考える。遡ればそこには、身を清め、襟を正し、そうして別室に篭もって初めてプラトンのテクストと対話したかつての思想家の姿を見出すこともできる。


しかしながら、今現在、これだけブログも流行し、SNSもあり、ウェブ2.0などと言われる時代にあって、はたしてどこにそのような美しさが見出せるだろうか。ウェブの論争がまったくエレガントさを書き、ともすればあえなく「炎上」に陥るのは、それが単なる論理の応酬でしかなくなっているからではないだろうか。


九〇年代には、国際政治においては世界が分断し(もちろん冷戦構造が崩れたことで単に勢力図が書き換わっただけとの見方もできるだろう)、日本国内だけを見ても、特に九〇年代の後半になって、それぞれがそれぞれの趣味とその世界に閉じこもるように見えた。そこには、ポスト「大きな物語」としての、それぞれの「神」がいたのだろう。そして、その「神」を弁護するためには、その「神」によって創り出された世界内の論理を駆使しさえすれば、事足りてしまうのである。その自己完結の強さというのは、かつてオウム真理教において最大の口達者だった上祐氏が証明した。今、ネットの世界でしばしば起こる議論が、あくまで論理性を追求するのであれば、同時に、共通言語を構築するための作法もまた(マナーという最低限レベルのものも含め)構築しなければ、自己完結を超えた対話は不可能だろう。揚げ足取りならば、多少アタマの回る人間であれば簡単にできる。そして、そうした揚げ足取り的論理力をオモチャのピストルのように振り回すのは、上等な人の振る舞いではない。


九〇年代の「神々」の時代よりもはるか前に、小林秀雄がこう叫んだ時、彼はどんな気持ちだったのだろうか。「批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」 私は小林秀雄の良き読者ではないから、この言葉を引用するだけの準備は十分ではないと思う。しかしそれでも今、私がこの言葉をどうしても引用したかったのは、この叫びの中に、すでにしてそれぞれの「神=夢」の内にこもらざるを得ない宿命を見出しながらも、その宿命と斬り結びたいと願う、彼の覚悟を感じるからである。


そしてこの叫びから八十年近くたった今、我々は、どんな言葉を発しうるのだろうか。それを模索するのが、この宣言の趣旨である。(つづく)