東浩紀+桜坂洋「キャラクターズ」


遅ればせながら『新潮』10月号掲載の「キャラクターズ」(東浩紀桜坂洋)を読んだ*1。どうせ文壇ゴシップものだろう、と思って敬遠していたのだがさにあらず。感動してしまった。幾重にもひねくれたテキストに込められた気持ちは、本人が言うとおり「愚直」というほかない。ある意味では破れかぶれにも見えるが、これだけの覚悟を持って小説を書ける人はそんなにいないのではないだろうか。


書き手(作家)がいて、虚構の世界(物語や文体)があって、そこで登場人物(キャラクター)が動く様を、読者という比較的安全な位置から眺める。それが(いくらかの変奏はあるにせよ)従来の小説の基本的なフォーマットだとしたら、東浩紀桜坂洋は「共作」と「メタフィクション」という手法によってその安定した環境設定を攪乱してしまった。その結果、我々読者の安全は奪われた。東Rだか東Iだか東Sだかが乗った暴走する“タンクローリー”は、いつ我々のもとに突っ込んできてもおかしくないのである。非常にスリリングだ*2


しかも恐ろしいことに、この小説を読み終えたからといって、ここで立ち上げられてしまった世界はすぐには終わらないだろう。現実に東や桜坂は生きているわけだし、彼らは共作にせよ単独にせよこれからも何かしらのものを書くはずだ。だが、彼らが虚構としての東浩紀Iや東浩紀Sでないという保証はない。現実の桜坂洋はもしかしたら墜落するヘリコプターと運命を共にしており、今いる書き手としての桜坂洋は桜坂アルファとかオメガとかいった手合いのものかもしれないのだ。テクストのはざまから生まれ出た幽霊たち(キャラクターズ!)は、怒りや悲しみや憎しみや違和感や、そして喜びや希望にいたるまで、あらゆる言葉にならざるものを言葉にすべく、いまだにそこかしこを徘徊しているのである。


この小説はもっともっと話題になってほしい。それも東の罠だ、と言ってしまえばそりゃそうに違いないし警戒している人も多いだろうけど、作家や批評家が進んでこの罠に飛び込めば、それこそ文壇や論壇やブログ論壇はもっと面白くなるのではないかな。あえてトラップに踏み込む勇気を! てゆうか普通に面白い小説だしね。


それにしても、これほど愛憎が深い人も珍しい*3。愛と憎しみは紙一重だし、裏表なのだなと痛感した。なんかものすごく純粋な人のような気がする。ちょっと好きになってしまった。



 

*1:実は毎朝食事をしながら朝日新聞を読むのが習慣なのだが、この日は休刊日で手元に読むものがなく、たまたま近くにあったので手にとって読んだのだった。この小説の結末を考えれば、なんという皮肉……。

*2:と思うのはしかし、もしかしたら、文壇とか論壇とかに何らかの形で関わっている、あるいは近くにいる、興味がある人たちだけだろうか? でも朝日新聞の購読者数を考えれば、東+桜坂のこの小説の破壊力はかなりのもんじゃないかなと思う。狙われているのは、ひろゆきだけではない。

*3:「私」小説であるとはいえ、あくまで小説つまりフィクションである以上、このテキストをもとに、リアルな東浩紀本人の性格云々についてあれこれ詮索するのは倫理的にも批評的にもアンフェアだという気がするけども。