政治と文化


仕事が終わらないラビリンス。ずっと徹夜なんだけど、それでも終わらない。そして不義理は蓄積してゆく……。ごめんなさい!(各方面) でも意外に元気。今日はカレーを作ったりもした。


そんなわけで『STUDIO VOICE』の政治特集まだ読めてません。いろんな意見があるようですが、とにかく30年で初めての「政治」特集ってのは画期的なんじゃないでしょうか。個人的には水越真紀さんの文章がふたつも読めて嬉しい。(それにしても企画者の柄甚原権三氏って何者?)



以下はメモ。ゆっくり考える時間がないので全然まとまっていませんし推敲もしません。(と言いつつちょっとだけいじりました)

「政治」の復権

政治や思想から逃避してカルチャーに流れていった人、はやっぱりいたんだろう。それが今は、もはや絶対安全圏としての「文化系」の居場所はなくなりつつあるのかもしれず。面白いのは、「政治」の復権がもしも仮に起こりつつあったとしても、それイコール「人々が民主的な市民として目覚めた」わけではない、ところ、別の言い方をすれば、それは「個人としての目覚め」ではないということ。


このあたりは仲俣さんのブログエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/solar/20070708ともどっかでつながりそうなので、もうちょっと落ち着いたら考えてみたいと思うけど、とりあえずは最近、「文化系トークラジオLife」でもテーマになった「運動」あたりと関連してきそうなのでそっちについて思い付くままメモしておくなら、「個人→運動→公共性」ってのが「政治」へのアクセスの仕方として、あるいは「下からの政治」としてあるって理想が一時期たしかにあったはず。70年代から80年代くらいの住民運動とか、個人が政治と結びつく、そこから政治的市民が誕生するであろうという理想があったはずである。それがいわば、ポスト「政治の季節」における「新しい政治」の可能性を秘めているはずであった。ところが、(これは厳密な考証が必要だけど)住民運動はけっきょく個別の地域のイシューに関心領域がとどまってしまい、そこからの拡がりは知識人たちが予想したほどダイナミックにはならなかったのではないか。同時に、思想的な運動としてのフェミニズムなんかもある程度のところ頭打ちになってしまったという悲劇があった(あくまで運動として、という話)。


そこで90年代に台頭してきた関心領域が「社会」と「自分」であったとするなら、後者は省略するとして、前者については、NPOとか、社会起業家とか、ボランティアとか、なんかそのあたりでどうにかなるんじゃないかっていう雰囲気がそれなりにあったような気がする。


それがゼロ年代に入って、そうした社会的活動ではまったく対処できない感じになってきたというか、今思えば「9.11」はその雰囲気がかなりセンセーショナルに顕在化した出来事だったのかもしれないし、どうもこれは自分ひとりの手に負えるものではないぞ、という、それこそ一歩まちがえたら「宿命」とも思いかねないくらい大きな何かがやってきたのかもしれない。でもそれは「9.11」に始まったわけじゃなくて、ずっと水面下で進行していたことなんだけど、90年代には何かそれを「解決」してくれそうに見えたものたちが気が付いてみたら商業的な個別の「ライフスタイル」とかに堕していく過程でいやおうなく「うわーちょっと待てよ何もないじゃん」みたいな、いきなりけっきょく最初から廃墟でしたみたいな、もはやアイデンティティの宙づりなんていう生やさしいものではないような、「何もない」という状況が、同時に「お金もない」という経済的状況とセットになってやってきたような感じがあって、しかもそれが全然「びっくりサプライズ」とか「悲劇の物語」とかではなくて、「デフォルト」としてそこにごくフツーに存在していたというおそろしさ。ぼくは怖いから考えるのをやめていたのでよくわかりませんがそんな感じはちょっとくらいあったんじゃないか。


そしてその何かというのは、ほんとはひどく曖昧で、もやもやしていて、いろんなものが同時進行で徐々に蝕まれていくようなマジでけっこうやばいものかもしれないとぼくは思うのだが、そこに「格差社会」とか「ロストジェネレーション」とかといった〈言葉〉がぴったりとはまってあたかもそれが一大事のようになって今のわっと湧き上がってきた「政治」ブームにつながってるんじゃないかという気がする。気がするだけで、まあこんなグダグダの文章を書いているくらいだからほとんど根拠はない。でもやっぱりどうも「政治」ブームとかって信用ならないと思うのはそういう〈言葉〉がどこか上滑りしていくからだろう。

高円寺と下北沢

では少し地域に目を向けて東京の運動の話をすると、高円寺の運動らしきものが「騒ぎ」と呼ばれるのも、やっぱりよくわからんし一人じゃどうにもならんからなんかやろう、でもそれは「個人→運動→公共性」みたいな回路ではまったくありえないから「騒ぎ」になるしかないんだと思う。彼らの主張に耳を傾けてみたまえ。聴けたもんじゃない。だって家賃ゼロにしろとかだぜ。現実味がない。せめて「敷金・礼金の慣習廃止」とかならわかるしそれは立派な運動だ。でもポイントは彼らがそのようにしか語り得ないということだと思うし、そしてそのような語り口がやはりそれなりに人の心を打つ、というところにあるのだと思う。


ひるがえって下北沢はどうかといえば、いきなり「道路」というわけのわからない古い論理が持ち出されてきたけれど、実はその背後にはものすごく複雑な人間模様とか資本主義の論理とかが絡み合っていてそれは若者ひとりの力ではどうにもならんところにあるのだと思う。そこでたとえば「道路阻止」だけを考えるのであれば、やっぱりそれはそれなりの運動の作法があるのだろう。でも下北沢にコミットした若い人たちの多くは、道路がムカつくのはたしかにそうだけど、その背後に見えてしまった何かをどうにかしたいと心のどこかで思ったんじゃないだろうか。じゃなかったら、特に縁もゆかりもそれほどない土地に道路ができようがどうしようがそこまで肩入れするものだろうか。ついでにいうと、外からみたら若い人たちがおじさんにたぶらかされているように見えるかもしれんしそういう部分もゼロとはいわないが(しかし知るかぎりでは悪意のあるおじさんは一人もいないな、それはすごいことだ)、若い人だってけっこうしたたかというか、おじさんも含めていろんな人とコミュニケーションをはかることで無意識のうちに「何かを計って」きたんではないかと思う。

二十歳が美しいなどと

こういうことをあんまり言うとドンキホーテっぽいのでそろそろやめて仕事に戻りますが、ぼくが今抱いている感触でいうと、たしかに「政治」的なものはもう少し台頭してくるのだろうけど、それはフェイクだという気がする。「格差社会」とか「ロストジェネレーション」とか〈言葉〉は先行するだろうしそれはある程度有効だろうけど、そこに過度な期待をかけても何も救われないだろうなという気がする。扇動的な〈言葉〉はたくさん跋扈するだろうがそういうとことは距離をとったほうがいい。もちろん、どういうところにそれぞれの掛け金を張るかは各人の自由なんだけど、ぼくとしては一歩ひいたあたりで「見(ケン)」しつつ、とはいえいっぽうで惜しみなく(惜しむほどのものは何も持ってないけど)ちょっとズレたところにベットしたいという感じがする。フェイクに対して正攻法で立ち向かってもなあ、という。でも実は今ってけっこう攻めどきだよなあ、という。


で、じゃあどうするのかというと、あんまりどうするという気もなくて、でもどうにかなっていくのだなあという感触はかなり濃密にあるのだった。こないだNさんからギターをもらったのだが、なんとこの歳にして楽器を所有したのは初めてで、だからといって今からいきなりうまくなるわけもないと思うのだが、とにかくギターを手に持つという、それがぼくとしてはじゅうぶん戦う武器になりうるなーと思った。こないだ下北沢の開かずの踏み切りでギターを持ってたら「一曲弾いてください」と言われたので……(以下割愛)。


そしてNさんからはもうひとつ、ポール・ニザンの『アデン・アラビア』(晶文社、篠田浩一郎訳)をいただいたのだった。最後にこの本のあまりにも有名な冒頭を引用します。


 ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。


 一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも。世の中でおのれがどんな役割を果しているのか知るのは辛いことだ。


 ぼくらの世界は何に似ていただろうか。(中略)しかしただ分ったのは、この混乱のためにいずれ現存するものすべてが天寿をまっとうして死ぬだろうということだけだった。いっさいは、もろもろの病いをしめくくるあの無秩序に似ていたのだ。つまり、肉体のすべてを結局は目に見えないものにしてしまう死が姿を現わすに先立って、いままでひとつのものだった肉がばらばらになり、数を増した肉体の各部分がそれぞれ自分勝手な方向に伸びだすのである。その結果ゆき着く先はかならず腐敗であり、もはやそこに復活ということはない。


 その頃、きわめてわずかの人びとだけが明晰な目をもっていて、すでにこの大きな腐りゆく残骸のうしろの見えないところで、さまざまの狂暴な力が動きだしているのを看破できた。


 ほんとうに知らねばならないものについて、ひとは何ひとつ知ってはいなかったのだ。