政治と文化 追記


そういえば今ふっと思いだしたのですが、あの頃、ってのは「9.11」の直後、「自分には何ができるだろう」と考えた人はたくさんいたと思うし、「いま自分にできることはなんなのか考えよう」みたいな呼びかけもあったと思うけど、けっきょく「自分」には何もできませんでしたと、そういうことだったんじゃないか。あるいは、せいぜい「自分」にできる範囲のことと、世の中を蝕んでいる何かとのあいだにはあまりにも大きな落差があって、その落差を埋めようとしてもいたずらに傷つき浪費するばかりであり、すると、だんだん「何か」なんてものはないんじゃないか、それはそもそも私ひとりの妄想に過ぎなかったのではないかとさえ思えてきて、しかもそれは実際に真実妄想であったかもしれず、そうするとほんとうに「自分」のことしか考えなくなってくるのだが、あるいはそのようなフリをしてみせるのだが、さりとて、やはり「自分」という存在は周囲と無関係ではいられず、さまざまな状況に翻弄されることになる。(そして「9.11」のような大きな出来事は宙づりのまま今ひとつリアルでないイメージとして残存しつづける)


だからこそ、世の中との再接続が必要であって、それが今は「政治」ということなのかもしれない。だが、どうなのか。臆面なく「美しい国」とか言って閣僚が辞めたり死んだりする無機質な領域と、ぼくの本来ならば血が流れているはずの(でもほとんど感知できない)この身体の無意味さ(非リアルさ)と、そのあいだにはやはり乾いたぴりぴりとしたほんとうに無意味ながらなだらかなつながりがある、さて、では、「政治」とはどこにあるのだろう、そして何をさすのだろう?