上から目線

下北沢のとあるカフェで古い雑誌をぱらぱらめくっていたら、とても面白い記事を発見し、ちょっとやる気になる。どうもこのところ、やる気になると大体どこかから冷や水を浴びせられるというか、出る杭は打たれるみたいなことが、大して出てもいない「人畜無害な杭」にすぎないのに続いていて、いちいちそういうメールやコメントにけっこう深く傷ついて半日くらい動けなくなったりする。まさに「尼崎の魚」(くるり)の気分だ。でも仕事柄いくつものプロジェクトを同時進行で抱えていて、それぞれの企画にいろんな人が関わってくれていたりもするので、そうヘコんでもいられない。

ベストオブくるり/ TOWER OF MUSIC LOVER

ベストオブくるり/ TOWER OF MUSIC LOVER

出る杭を打つ

「出る杭を打つ」話で脱線すると、最近とても気になる言葉が「上から目線」ってやつで、いつから流行しはじめたのか知らないがこんな言葉、撲滅されてしまえばいいのにと思う。世の中ぜんぶフラットだとでもいうのだろうか? 「一億層中流」の幻想が最近の「格差社会」うんぬんで崩れてきたりネットが一気に普及したりで、エリートとか大衆とかいう区分が表向き崩壊して混乱しているのかもしれないし、混乱する気持ちもわからなくはないけど、でもほんとに貧困とか貧乏とか抜き差しならない格差とかを経験したり目の当たりにしたことのある人なら、こんな言葉おそれおおくて使えないと思う。ぬるいよ。あるいは、自分も他人も同じ人間や仕事人として尊敬したり尊重したりしてたら、そんな言葉使う必要ないと思う。「それって上から目線じゃね?」とか言い合ってお互いを監視することで自分の自信のなさを埋め合わせたいんだろうか。面倒くさいなあ。


とはいえ「エラそうなやつ」とか思われるのもこれまた面倒くさいので、一人称を「私」から「ぼく」に変えてみる。これで「エラそう」から「生意気」くらいには印象が変わるだろう。

90年代

で、最初の話に戻って、そう、面白い記事を発見したのである。凹んだときの何よりの処方箋は、新しいものを発見することだ。といっても10年前の雑誌の記事だから新しくはないのだが、ぼくにとっては新発見だった。文化系トークラジオLifeでも「After95」がテーマになったことがあったけど、見つけたのはちょうどこの頃の記事で、なるほどあのとき世の中はこんなふうに動いていたのだね、というひとつの証拠を発見したような気分だ。


その流れで、ネットでいろいろ調べていたら佐々木敦さんのブログの記述にいきあたる。『スタジオボイス』と『QJ』をそれぞれ80年代と90年代を代表する雑誌として位置づけて比較した興味深いエントリ。「目下加筆作業中の『90年代論講義』」の刊行が、ほんとに待ち遠しい。
http://unknownmix.exblog.jp/4225745/