「先生とわたし」(加筆修正)


『新潮』2007年3月号に掲載された、四方田犬彦の「先生とわたし」。『ハイスクール1968』が高校生までのストーリーだとすれば、この話はその続編か。とはいえ、「先生」を登場させてしまった今作に賭ける著者の覚悟と執念は、前作のそれをはるかに上回る。


「先生」とは、彼が駒場で出会った英文学者の由良君美のこと。由良さんについては、恥ずかしながら「先生とわたし」を読むまで、私はその名前といくつかのエピソードをわずかに耳にしたことがある程度の知識しか持ち合わせておらず、彼が「脱構築」という訳語の発案者であることさえ知らなかった。ほかにも知らなかったことはたくさんある。(なかでも、せりか書房の編集者、久保覚の存在は気になるところである。)この作品の各所に散りばめられた膨大な固有名詞とエピソードを追うだけで、由良君美から四方田犬彦に継承されたある幸福なものの一部を追体験することができるだろう。私のような(いちおうまだ若いと目される)世代にはとても貴重な資料でもある。


強調しておきたいのは、この作品を書く動機がけっして(過去の思い出を美化するような)ノスタルジーに裏打ちされたものではないということだ。そもそもノスタルジーに浸りたければ、四方田さんはこんなふうに書かなければよかったはずである。たとえば、晩年は不幸の影を帯びた師との関係を、いくぶんかその面影を美化するかたちで消化し、みずからのライフヒストリーの一部として取り込んでしまうとかすれば楽だったはずだ。しかし彼はそうせず、そしてもちろん、由良君美という存在を斬って捨てるようなこともせず、とにかく多大な労力を由良君美という人物への探求に粘り強く捧げた結果、ひとりの師匠と弟子との物語のあいだに、いくつものひらかれた回路を見いだしたのである。一歩間違えば師のゴシップを暴露するという醜悪な事態に陥りかねない、そんな綱渡りであったはずだ。そこまでして、なぜ彼は書いたのか。


この作品の最後に四方田さんは、人文的教養を培うための「親密で真剣な解釈共同体」の再構築のために腐心しなければ、と語っている。けれども実のところ、この作品は、今では「教養主義」や「アカデミズム」といった揶揄の言葉の中に十把一絡げに放り込まれてしまった共同体、すなわち、かつて存在したのであろう親密で真剣な、そして幸福な共同体に、自らの手でトドメを刺すために書かれたのだと私は思う。それは彼自身でなんとしてもやり遂げたかったことだろうし、他の誰でもない、(密教としての弟子である)彼でなければできないことだった。




たぶん、まったく同じような形では、師匠と弟子による教養を糧とした共同体の再構築はむずかしいだろう。けれども知的好奇心が尽きることはない。同時に、知の伝達・継承にも終わりはない。今思ったのだが、Lifeがやろうとしていることは、ある意味ではこうした「親密で真剣な共同体」を別の形で引き受けることでもあるのかもしれない。師匠と弟子との関係は、そこでは一見、フラットであるかのように見える。けれどもやはり、その背後には(読書量や会話能力、批評眼、社会への影響力といった)圧倒的な力の差が存在するのであり、そして大教室的な顕教(ラジオ放送)がある以上、よりクローズドな空間を媒介とした密教の中で培われていくものもあるだろう。知の継承の物語は、かくも面白きものなのである。