多和田葉子と須賀敦子

多和田葉子アメリカ 非道の大陸』を読み始めた。恥ずかしながら多和田さんの作品を読むのはこの本がはじめて。ドイツ在住の著者がアメリカを訪れる紀行文なのだが、いわゆる「私」が移動する形でのロードノヴェルではない。この本に散りばめられたエピソードはたしかに著者によって(ある程度)体験されたものなのだろうが、主語が「あなた」になることで、文章が虚構の世界を泳ぎはじめる。はたして、この大陸を移動している主体は誰なのか? そこでは主体が不確かではあるのだが、さりとて、迷いがあるというわけではなく、「あなた」はどうやらある種の強さをもった(しかもリズミカルな文体を繰り出す)女性であるらしい。その迷いのない不確かさが心地よい。


どうしても須賀敦子と比較してしまうのだが、須賀さんの場合は、ヨーロッパという大きな世界に投げ出された「私」という〈揺れる主体〉こそが魅力なのだと思う。だが多和田葉子の「あなた」は、どうやらちょっとちがうようである。



アメリカ―非道の大陸

アメリカ―非道の大陸