録音マニア


人と話す時にテレコを回す癖がついた。そのせいで、うちに転がりこんだ家出少女に「録音マニアですか?」となじられる。そういうわけじゃないけど、なんとなく声を残しいのだ。……存在のたしかな証拠が欲しいからか。いやむしろ、存在をかき消したいのじゃないか。自分や他人の気持ちが分からない。分からない時は、ただ記録するしかない。


今日も彼女からの連絡はない。独りでいるのはつらいから、頭の中を、他人の声や言葉で埋め尽くしたい。一分一秒も余さず、埋め尽くしてほしい。そうでないと、あまりに重みがなさすぎる。




星野智幸の「独身温泉」で主人公のひとりワタナベは、両親のためにマンションを購入し、じぶんも独身者としてそこに住んで、両親の老後の面倒を見るという計画を進めていた。

とりたてて浮ついた二十代三十代を送ったわけではないのに、あるいはそれゆえに、ずっと未決定で宙ぶらりんに生きている感覚が抜けなかった自分が、ついに自ら一歩を踏み出し、地に足をつけた。本当の意味で俺は大人になったのだとワタナベは感慨深く思い、落ち着いた自分に少しは頼もしいものを感じた。


ところが友人シキシマは、中庭にマンゴーの木が生えた一軒家を借りて、独身者たちで一緒に住もうとワタナベをそそのかす。危うい誘いだと思いながらも、ワタナベはその「なりゆき」に逆らえずにその家に住むようになり、中庭にハンモックを吊り下げて眠り、マンゴーの官能的な実を齧るようになるのだった。

いくらプレッシャーをかけて、助け合いを軸にした親との共同生活を実践してみても、自分があるべき三十代の大人像に収まっているとは思えず、茫漠とした無重力空間を漂っている気分は消えなかった。親との絆は感じるし、それを大切にしようという気もあるのに、自分が雑草のように勝手に生えてきたみなしごのように感じることも多い。その気分と、ワタナベが独身でいることとは、深くつながっているはずだった。


(……)


「それはもう想像を絶する寂しさだと思うんだよ。孤独っていうのは、自分が孤独だと訴える相手がいない状態のことを言うわけだから」
「まあな」


(……)


「ときに、これから銭湯でも行かない? 近くに温泉があるんだがね」

毒身 (講談社文庫)

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