『犬はどこだ』に仕掛けられた〈罠〉


このところ眠れないから本を読む、するとますます眠れない、という悪循環に陥っている。


昨晩勧められた『犬はどこだ』(米澤穂信)を読了。「君はきっと泣くよ」と予言されたのだが結局泣かず、かわりに体感気温が5度ほど下がった。読後の後味の悪さは『ボトルネック』に匹敵するか、あるいはそれ以上か。『インシテミル』が読んでいる最中に読者を怖がらせる小説だとすれば、『犬はどこだ』はラストで読者を「恐怖」の中へと叩き込む小説であり、つまりこの小説は、一見「日常の謎」的なほのぼのとした雰囲気を装っておきながら、巧妙な〈罠〉を張って待ち構えていたわけである。なんて意地の悪い作家だろう。*1


さてナカマタさんが冗談で「米澤穂信論を書いてみたら」と言っていたけれど、なるほどそれは自分のためにも必要かもしれないと思った。ただ、その手がかり(キーワード)は得られたものの、さすがにまだまだ資料が足りない。


■参考資料 仲俣暁生「エモーショナル・レスキューの憂鬱〜米澤穂信『犬はどこだ』論」
http://d.hatena.ne.jp/solar/11110001


犬はどこだ (ミステリ・フロンティア)

犬はどこだ (ミステリ・フロンティア)

*1:もちろん称賛の言葉です