清純派リアリズムの時代


徹夜明け、ほとんど仮眠もとれず夕方から打合せへ。とある書店のカフェで某作家氏と待ち合わせをしていたのだが、ちょうどカフェではトークイベントが行われていて入れなかった。トークには社会学者のK氏が出ている。「ああもしかしたら僕の知り合いがいるかもしれません」と言って中を覗いたら案の定、Life学生部・鮭缶氏の姿が見えた。その後ろで蟻子女史が手を振っている。鮭缶氏が「鮭マルなんて……」とぶつぶつ呟いているのが聞こえた。


いたしかたなく某作家氏とともに近くの喫茶店に場を移し、手早く仕事を済ませたあとは雑談。雑誌や文芸誌のこと、某作品のこと、そして老いや性やある記憶について話が弾む。この人の次回作がほんとに楽しみだと思った。あっという間に一時間以上が経過してしまい、あわてて次の打合せへ。




某デザイナー氏は不思議な喋り方をする人で、言っていることの7割くらいしか判読できない。ただ話の流れを遮りたくはないので、とりあえずスルーして耳や脳に話をストックして聴きつつ、ところどころ突っ込んだり反論を加えたり質問したりするとまたそこから話が広がっていって、さらにはさっき言ったことと今言っていることは矛盾しているのではないかと思ったりもするのだが、それは某デザイナー氏がさまざまに立場を変えてカメレオンのごとく立ち回りながら話をしているのであり、最終的には整合性がとれてなるほどそういう話だったのかと腑に落ちた。気が付けばここに来てから二時間半……。うまく眩惑されているのかもしれないが非常に楽しく刺激的な会話だった。


内容的には、広告の世界と出版の世界のはざまにあって、デザイナー氏がどういうことを考え何を見てきたのか、そしてありうべき編集者のカタチとは、といった話で、彼の言うところは徹頭徹尾リアリズムに貫かれているのだった。なるほど、ものをつくるというのはそういうことなのか、となにか武者震いするような感じがした。


夜も更けた。オフィスをお暇して電車に乗り込むと、女子大生とおぼしき童顔の女の子二人組が話をしている。「清純だけじゃ、やってらんないよね」。まったくその通りだ。