下北沢と高円寺の運動


ふごー、疲れた、ちょっと休憩。さて「高円寺VS下北沢」の話はいろんなブログで取り上げられていて、批判的な意見も含めてまだ継続中というか、やっぱりもうちょっと深めて考えてみたいところだと思います。

これは住民運動なのか?

ひとつ面白かったのは、ブログで、「住民運動なのに、下北沢の住民じゃない人が騒いでも……」という意見があったこと。こうした意見は、Save the 下北沢の発足時からずっと言われていることだから、STSKの人にしてみたら「今さら」感があるかもしれない。でも、なにが面白いかというと、「下北沢の運動=住民運動」と見なすまなざしがあるということ。あー、そうなんだー、と気づかされました。


どうなんだろう? これは住民運動なのだろうか?


東京都内の住民運動といえば、まずやっぱり国立(くにたち)のマンション訴訟が思い浮かぶ。けれども、国立というのは東京の西のいわば郊外といってもいいところだし、近くに立川などの町だってもちろんあるけど基本的にはそこで独立した町である、という点では本質的に地方都市とかわらない。


これ(地方都市的な町)に対し、下北沢というのは、そもそも範囲を確定しづらい町(街)である。たとえば僕が住んでいるこの家から下北沢までは全然歩いていけるのだが、では現住所が下北沢かというとたぶんそうではない。でも、人に「どこに住んでるの?」と訊かれたら、めんどくさいときには「下北沢のあたりです」などと答えてしまう。そこには、「下北沢に住んでいるといえばちょっとかっこいいかも」的な気持ちが3%くらいあることは認めざるをえないけど、それ以上に一種のランドマークとして「下北沢」という名前が機能しているおかげで、その言葉を口にすれば、「ああ、大体あのあたりね」と認識してもらえることを期待できるからそう答えるのだ。これはずっと前から仲俣暁生さんやkmrくんあたりと議論してきたことだが、そもそも「下北沢」という行政区画上の土地はないのであって、「下北沢」というのは人々がそれと想起する範囲としておぼろげに代田とか代沢とか北沢とかいった実際の土地の上に広がっているある種のバーチャルな空間を指す。(あえてバーチャルとか言ってみるけど、もちろんこれほどリアルに感じられる街はほかにない)


さて話を戻すと、では「下北沢を守ろう!」という運動ははたして住民運動なのか? もし、「守る」、あるいはそれが保守的にすぎるならば何かを「つくる」という運動でもよいのだが、いずれにしてもその対象が代田や代沢や北沢といった土地であるのなら、それはたしかに住民の住民による住民のための運動として展開していくのがスジだろう。スジが通るというのはつまり、運動としての正統性や大義名分を主張しやすいということである。


しかし、さっきも言ったように、「下北沢」というのは、代田や代沢や北沢あたりにさまざまな偶然や必然の結果として生成されてきた「下北沢」と呼ばれる“文化的な広がり”や“街としてのイメージ”を指しているものである。その価値を守りたい、継続していきたい、あるいは発展させていきたい、と考えるとき、その運動の主体としてふさわしいのは、誰か?


この問題はおそらくkmrくんがずっと考えてきたことだと思うので、あとは彼にゆずります。(ずるいけど。笑)
http://kmrblog.exblog.jp/5970343/


「土着化/土人化」について

さてそろそろ仕事に戻りますが、上の流れでつけ加えておきたいのは、イベントでも話に出た「土着化/土人化」について。高円寺の運動(騒ぎ)の場合、それを、その土地でやらなければならないという必然性がそもそもないので、何かをやるための足がかりとなる場を構築・確保するためにも、地域に根を下ろすことは必要なのだと思う。それを媒介しているのはおそらく、松本哉という〈人〉と、「素人の乱」という〈店〉だろう。これが、いわば若者の騒乱的なるものと、高円寺という土地の両輪を結びつけているのだと思われる。


ところが下北沢の場合むずかしいのは、「下北沢」という名前が文化的な価値やイメージを指しているにもかかわらず、それが同時に土地のイメージと強く結びついてしまっているという点だ。これは特に、「道路反対」という運動の立て方をしているために、よりいっそう、強固なものとなっている。つまり、「道路」が実際に通る土地というものがあり、その地権者がいて、店子がいる。住民がいる。なのにいっぽうで下北沢の中でも道路が通らない区画がある。そうした立場の違いや細かな差異が地権者や店子や住民の意見を複雑に分断させていて、そこには当然生活や金がかかってくるから、これは責任重大というか、どうしても重々しいテーマとならざるをえない。そして、道路反対運動が“団体として”この問題に取り組む以上は、そのテーマを避けて通ることはできないのである。これが、下北沢の運動が今ひとつノリきれないというか、はっちゃけにくいひとつの要因になってきたのだろう。


この状況において「土着化/土人化」するとしたら、どういうことになるのか。下手をすると、ますます身動きがとれなくなってしまうと思う。たぶん、これは僕の個人的な感想だが、「住民が」とか「地権者が」とか抽象的に言いはじめた途端に、そういう重いものに絡め取られていくのではないか。もちろん、道路が実際に家や所有地に通る人にとっては抜き差しならない問題だろうから、その人にとっては重要なテーマだろうけども、それこそ、余所者が“直接には”どうこうできるような話ではないという気がする。


この点で、下北沢における「土着化/土人化」のモデルとして面白いと思うのは、ひとつは以前にも紹介した気流舎という古本屋である。
http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi

ここはまず、下北沢の南のはずれという場所が抜群によい。そして店主の加藤氏は一度くらいしかお話したことはないがかなり変わった人である。『STUDIO VOICE』などの雑誌にも登場しており、メディア的なものをうまく利用するセンスにも長けている。この〈人〉と〈店〉が触媒となって動きをつくっていく可能性は充分にあると思う。


それともうひとつは、名前は出したくないので伏せておくが「秘密の喫茶店」である。この店がなかったらたぶん僕は下北沢にほとんど何の思い入れも感じることはなかった。店主はかなり気むずかしい人で、かつ、独特の言語体系を持っている人だから、たとえばそこにいわゆる典型的な「運動」の言葉を持ち込もうとしてもそれは届かずに落ちてしまう。そういう「届かずに落ちてしまう」感覚にまったく気づかずに喧伝されるような言葉は実はほとんど他人の心を打つものではないから、思考や言葉を研ぎ澄ませ洗練させていくためにもこういう店は必要だと思う。それに今月から月に一回、微弱な電波ながらラジオ放送などもやるらしく、どうなっていくのかちょっと楽しみではある。でもようするに、誰にとってもそういう〈店〉がひとつあればよくて、そことなんらかの関係を構築していく(別に話さなくてもいい)ことが、もしかしたら「土着化/土人化」といえるのかもしれない。


やや、ちょっと長く書きすぎた。仕事に戻ります。ちなみに商業者協議会などの地道な活動はものすごく重要だと考えていますが、それはまたいつか別の機会に。最後にいっこだけ付け足すと、ぼくはあのイベントで「高円寺か下北沢か」と揺れている気持ちがあったけど、やっぱり下北沢だと思いました。