最近読んだ面白いブログ記事


■アイドルについて語るということ(七里の鼻の小皺)
http://d.hatena.ne.jp/nanari/20070718


アイドルオタク、という存在はどこかまったく別世界の住人たちであって理解不可能だし無関係だし関わり合いにならなくてもけっこうだ、とか思っていたのだが、このあまりに長くあまりに熱い文章を読んでとにかく「すごい」と思った。その気持ちがわかったような気さえした。なんというか、“ここ”に生じているクライシスが。



■カルチャー日記(日日ノ日キ 吉田アミさん)
http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20070717/1184645681

の7月14日の「できない話」も面白いのだが白眉は7月16日のポツドール評! ポツドールは言わずとしれたあの劇団である。ぼくは個人的事情があってポツドールには愛憎半ばした感情を抱いているのだが、吉田アミさんはこのもやもやした想いをほぼ完璧に言語化してくれたと言っていい。


およそ演劇を、小劇場などで苦労しながらやっている人たちの多くは、とくに演出家は、来た客を驚かせたい、びっくりさせたい、フレームをぶちこわしたい、あるいはゆがめたい、ずらしたい、そういう想いに取り憑かれているはずである。でもポツドールはどうなのか。ぼくには、彼らは客を不愉快にさせる演劇をやってます、というポツドールらしさをつくりあげてそしてその「ポツドールらしさ」を何度でも観たいと思う客に向けて何度でも同じことを上演しているようにしかみえない。そこにフレームの変容というものは果たして起こりうるのか?


しのび笑いをする客たちは、おそらく何度も足を運んでいるポツドール中毒者であろう。ポツドールポツドール中毒者を相手に彼らを楽しませようと思ってやっているのならそこには受容と供給が成立しているわけだから勝手にやればいいんじゃないかと思う。でもぼくはやっぱり苛立ってしまう。劇団に対しては、吉田アミさんが最後に書いているように「そろそろポツドールらしさに安穏としていることに飽きているんじゃないのかな?」ということを、あるとき観ていて感じたところから生じているのかもしれない。もっと違うことがやれるんじゃないか、技術は磨いているのだからそろそろ違うことを描いてもいいんじゃないか、という。もうひとつはお客のほうで、例のしのび笑いに象徴されるようなちょっと鼻持ちならないスノッブな空気が皆無とはいえまい。でもまあどこにでもあるものなのかな、その種の共犯的悦楽は。


いっぽうで、ポツドールを観ても苛立たない、ぜんぜん苛立ちませんよ、それどころかすごいんですよ、という意見の人もいると思うので、それはどこがすごいんですかと単刀直入に訊いてみたい気がする。「リアル」、とかではないよね、まさかいくらなんでも。なんにしても、まとまったポツドール論を読んでみたいです。