『ダーティ・ワーク』

朝、晴れていて気持ちのいい日だ、と思っていたら急に雷雨になり、予定していた外出をとりやめる。しょうがない、今日は籠もって仕事に徹するか、と思ったら「ゴロ」と「ピカ」が同時に来るような雷。近すぎ! というわけで、慌ててパソコンの電源を落とし、コンセントも引っこ抜いたら仕事ができなくなって、なんだかもういいやという気分になって読書した。


絲山秋子の『ダーティ・ワーク』はまさにそんな気分のところにすっと入ってくる小説だ。うわー、ちょーいいよこれ。何人かの登場人物が入れ替わり立ち替わり登場する、いわゆる群像劇と呼ばれるような連作短篇集で、各短篇の終わり方がすごいというか、ページの余白にそのまま投げ出されてしまって「ふわっ」とする感じ。でも「ふわふわ」ではない。その「ふわっ」という感じのまま次々読み進めていったら、あっというまに読み終わってしまった。


章によっていろんな文体(というか語り口)を使い分けてるんだけど、それが技巧くさくないところがいい。短いセンテンスで、リズムもいい。だからといって内容が軽いわけではない。たしかに文章は軽い。というか軽やかだ。余計な重さが削ぎ落とされている。これはでも天性の感覚というよりは努力の末に編み出された軽やかさだと思う。そんな気がする。なのに技巧くささは感じさせないんだよなあ。そこがすごいよ。


「友達」とか「恋人」とか「フリーター」とか、関係や状態について名付ける言葉は多いけど、絲山秋子は独特の軽やかさでそれらの言葉のあいだを滑り抜けていくような感じがする。それは水上バスに乗ったときの気持ちのいい風みたいだ。あ、でも、水上バスに乗ったことってあったっけか。忘れてしまった。あるようなないような。どっちでもいいか。そんな感じなのだ。


ダーティ・ワーク

ダーティ・ワーク


この本を手に近所の喫茶店でアイスティーを飲んでいたら、いまではすっかり伝説となった某映画批評家が隣りの隣りの席に座っていた。おじさん、この小説いいよ! 読んでよ!と思わず薦めそうになった。